『独立記念日と愛国心』?
1999年7月4日
アメリカが223回目の誕生日を迎えた。毎年この独立記念日のからむ1週間には、建国を祝う数々のイベントがおこなわれるため僕もそれにまつわる撮影で忙しくなる。ボストンはイギリスからの移民のつくった最初の街という歴史もあって、それを売り物にした行事がめじろ押しだ。またハッチ・シェルでのボストン・ポップスのコンサートはいまや数万もの人々が足を運ぶ一大風物詩となっている。花火の前約2時間にわたって野外音楽堂でおこなわれるこのコンサート、ステージ前の芝生の場所を確保するために人々は朝の4時くらいから並び始めるほどだ。現在はこのエリアの開門が当日朝6時になっているが、数年前まではみな前日の夜から寝袋持参泊まりこみで場所をキープしていたという。そんなわけで、この日昼近くに僕が撮影のためにハッチ・シェルを訪れたときには、すでにステージ前の空き地はびっしりとビニールシートや毛布で埋められていた。文字通り足の踏み場もなかったので、僕は脱いだ靴を片手に持って、人々の敷き詰めたシートの上を右へ左へとさまよいながら被写体をさがす羽目となった。 さすがに独立記念日ということもあって、そこでは四方どちらを向いても星条旗が眼にはいってきた。幼い子供達は父親の肩にのせられて小旗をふり、多くのテントにはこの米国旗が一緒にたてられている。大型のものをテントからつるしているところもあれば、若者達はカラフルにスターズ・アンド・ストライプスを顔に塗りたくっている、という具合だ。星条旗という祖国のシンボルを掲げ、愛国心を誇示することによって、この国の誕生日を盛大に祝うぞーというような意気込み!?がひしひしとこちらにも伝わってくるような風景なのであった。 こちらに住んでいると、普段からアメリカ人達のペイトリオティズム(愛国心)には良くも悪くも感心させられることがしばしばあるが、独立記念日はその愛国心にふれることのできる最たる機会であろう。 世界でもその独立や建国を祝う国々は少なくないが、アメリカほど派手にこれをおこなう国は稀じゃないだろうか。しかし、本当に国民のみんながみんなアメリカに対しそれほどまでの愛国心を抱いているのだろうか。。。 ここにナショナル・オピニオン・リサーチ・センターのおこなった調査結果がある。科学、軍隊、歴史、文化、政治など多項目にわたって、人々がどれくらい自分の国を誇りに思っているかという調査だが、そのほとんどの項目において70パーセント以上のアメリカ人達が、「誇りに思う」または「非常に誇りに思う」という統計が出た。これは同じ調査をおこなった、イギリス、カナダ、日本、ノルウエー、オーストリアなどを含む他の22カ国に比べてとりわけ高いアメリカ人達の「愛国心」を示していたということだ。しかしこの調査はアメリカ内のどんな人種、階級や年齢層をどの程度振分けておこなったのものかわからないうえ、国内におけるたったの1300人あまりしか対象になっていないのでとても鵜呑みにすることのできるものではない。一般的にはアメリカ人の自国に対する誇りや自信は相当なものがあるのは僕も認めるところであるが、それはアメリカ人のなかでもマジョリティーを占める白人中流階級を中心に考えた場合なのではないだろうか。僕の経験からくるあくまで個人的な意見としていわせてもらえれば、下層階級や移民の第一世代などがそれほどの愛国心を持っているとは考えにくいのだ。実際、独立記念日の例を取っても、パレードに向かってミニチュアの星条旗をぱたぱた振る子供達や、テントに旗を立て、ハッチ・シェルでのコンサートを待つ人々の大部分は白人中流階級組だといえるだろう。今までこの仕事をしてきて、この白人中流階級組以外の人々が誇らしげに星条旗を振り回したりしているのは、オリンピックなどのスポーツ・イベントの様な特別な舞台以外にはみたことがない。特に移民の一世達、すなわち、人生の途中で移住してきた人達、にとって、そう易々と祖国に対する思いや文化を捨て去って、心からアメリカに誇りをもつ市民になどなれるものだろうか。すでに国内におおきなコミュニティーをもつプエルト・リコ系アメリカ人やブラジル系アメリカ人、その他様々の白い肌をもたない移民達のことを考えてみよう。法的にれっきとしたアメリカ人となった後でさえ、星条旗に対してよりもプエルト・リコやブラジルなど、彼等祖国の国旗に対して誇りをもつ人のほうが多いのではないだろうか。 結局のところ僕らが日常のなかで垣間見る強烈なアメリカに対する愛国心というのは、ほとんどがマジョリティーである白人中流階級組から発せられているのである。最近ではもう慣れてしまったが、僕自身、この国にきてしばらくはこのアメリカ人の「愛国心」というものに対して相当な嫌悪感をいだいていたものだ。いったいどうしてそう思うようになったのかは定かではないのだが、「何でもかんでもアメリカ人達は自分達のことがナンバーワンだと思っている。。。」といった印象を強く持っていて、日常の些細なことでも「アメリカ人は愛国心が強すぎて、他国の人間に対し優越感を抱いている」などと批判的になっていたような気がする。しかし、今思えばその時僕が否定的になっていたアメリカ人達というのも、実は僕のまわりにいた白人中流階級組の人達であったし、同じアメリカ人でも、白い肌を持っていない人達にはそういった感情を持っていなかった様な気がする。僕自身、日本人というマイノリティー組に属していることが、こういう感情を持つに至ったひとつの原因であることは否めないが、人種的なコンプレックスをそれ程感じなくなった今、冷静に考えてみても、マジョリティーである白人中流階級組が日常見受けられる愛国心の核をなしているということは事実といえるだろう。 人間が「愛国心」というものを振りかざすとき、その被害を被るものがあるかも知れないということに人々はなかなか気付かない。 96年のアトランタ・オリンピックにおいて、一番人気だった女子体操競技でのことだ。アメリカチームの選手がでてくるたびに会場の全員が物凄い声援をあげるので、同時に演技をしている他国の選手達が全く集中できなかったと散々不満をもらしていた。オリンピックのような大会であれば、本来ならすべての選手が同じように集中して実力を発揮できるようにするのがフェアーだとおもうのだが、この場合、アメリカの観客たちは自国の選手の演技のタイミングばかりに合わせて無茶苦茶なでかい歓声を上げていたのだ。(これは僕もテレビでみていたので憶えている)これも彼等の愛国心のあらわれなんであろうが、もうこうなってくると、自国の選手が勝てば、他の選手の演技の妨げになろうが何だろうがどうでもいい、ということになってくる。多数派の「愛国心」のもとに、スポーツに有るべきフェア精神は見事にその犠牲になったわけだ。しかし彼等にとってそんなことは一向に構わないのだ。アメリカ選手が勝つことこそが、彼等の「愛国心」を満たすことなのだから。 スポーツ程度ならまだしも、これが政治的にからんでくると始末が悪い。一番いい例は軍国主義時代の日本であろうが、「神国」日本への恐るべき愛国心を植え付けられた国民達が、アジア諸国への侵略戦争を聖戦とよんで美化し、「お国のために」結局は破滅への道を進んでいった。現代アメリカにしても、ソ連が崩壊、そして経済も好調の今、再びアメリカ・イズ・ナンバー・ワンの気運が高まっている。これをチャンスにこの国は世界の一極支配を狙っているわけだが、それを根底で支えているのが国民達の「愛国心」なのである。そしてこの「愛国心」のほとんどは前述のように多数派である白人中流階級から発せられてくるもので、移民や下流階級など、アメリカという国を形成するもうひとつの重要な階層から滲み出てくるものではないのだ。そんなこともあって、僕にとってこのアメリカ人の「愛国心」とやらは、時折胡散臭く感じられてしまうのかも知れない。 確かに純粋に自分の国に誇りをもてるってことはいいことには違いない。しかし、他国、他民族、さらには自分以外の人々すべてに対して相応の敬意をはらってこそ本当の意味で自国を愛することができるのではないだろうか。 なんだかんだと御託を並べてしまったが、こんなに硬く考えずに、折角の独立記念日、もっと楽しくアメリカの誕生日を祝うべきかな。

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