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『未来を奏でるジャズバンド』?
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98年12月
「違う違う、そこはそうじゃないだろう」、音楽担当である上野先生の、厳しいながらも温かみを含んだ声が教室に響く。トランペットを手に、個人指導を受けているのはアンドリュー。彼がソロで演奏するパートの特訓だ。間違わずにきれいな音が出るまで何度も何度も繰り返して吹かされるのだが、なかなか思うようにいかない。フラストレーションがたまったアンドリューは、一回吹くごとに大きな叫び声をあげたり、体全体で欲求不満をあらわすように跳び上がったりする。これはボストン東スクール、ジャズバンドの練習風景のひとこまだ。この学校の生徒すべてがそうであるように、アンドリューも自閉症を患う子供の一人である。比較的症状の軽い彼ではあるが、欲求不満が蓄積したり、精神状態が不安定になったりすると自分を押さえることができずこのような行動にでてしまう。しかし上野先生はそんなことなどお構いなし、というより、「だだをこねたってうまく吹けるようになるわけじゃないんだぞ」、というメッセージを彼の行動を無視することによって伝えているかのように、ただ、「君なら出来るだろう、もう一回やってみよう!」と励ますことでアンドリューに何度もトライさせている。悪戦苦闘の末、ようやくスムーズなメロディーが彼のトランペットから発せられると、間髪をいれずに先生から褒め言葉がとぶ。「イエス!アンドリュー、ベリーグッド!!」アンドリューの顔が一瞬ほころんだ。 1987年、日本にある武蔵野東学園の姉妹校として、ボストン東スクールはマサチューセッツ州レキシントンに開校した。武蔵野東の設立者である北原キヨ先生によって考案された「生活療法」は、それまでの自閉症教育において当然とされてきた薬物投与、賞罰による訓練、というものを極力排除し、体育、美術、音楽などをふんだんに取り入れた規則正しい日常生活をとおして自閉症児を訓練していくという画期的な手段をもちいた。この「生活療法」は大きな効果をあげ、武蔵野東には世界各地から自閉症児が集まるようになったが、そのプログラムをぜひアメリカにも、という自閉症児をもつ親達からの強い要望によってボストン東スクールが生まれたわけである。ここで少し「自閉症」というものに触れておこう。自閉症というのは、脳の障害であって、心の病ではない。この点で多くの人の間で誤解があるとおもわれるのだが、一般的にいわれる自閉的な性格、とか、鬱病、とかいうものとは全く異なるものだ。原因は以前として不明であるが、自閉症は先天的なもので、通常は3歳くらいまでに症状があらわれる。なにかひとつのことに異常なまでの執着する、自分を傷つける自虐行為をおこなう、言葉が不自由、などが主だった症状だが、基本的に、自分と他人、すなわちまわりの社会との関係が理解出来ない、という点で、精神病とはその質を異にする。アメリカでは一万人に4〜5人が自閉症と診断されており、成人して通常の社会生活が営めるのはそのうちの15%ほどだそうだ。 現在116人の自閉症児達をその懐に抱える東スクールのなかでも花形的存在なのがジャズバンドだ。音楽の得意な生徒達の集まった13人編成のこのバンド、グレン・ミラーの演奏ですっかり有名になった「イン・ザ・ムード」などのナンバーを堂々と演奏してしまう。彼等は譜面もきっちり読むし、初めて彼等をみる人なら誰でも、彼等が自閉症児などとはとても信じられないであろう。大体この学校では、体育の時間に子供達がいとも易々と一輪車を乗り回したりして、驚かされることばかりなのだが、自閉症児といえども子供は子供。導き方次第で、色々な可能性を引き出してやることが出来るという証明が、この学校のいたる所で見うけられる。 年末年始の休みを数日後に控えた12月半ば、例年どおり学内でミュージック・フェスティバルがひらかれた。全校生徒が学年ごとに分かれ歌や演奏を披露する。生徒のほとんどは寮で生活しているため、通常は週末と休みの日くらいにしか子供に会えない親や家族の人達もこのような発表会には学校を訪れる。我が子の成長を眼にすることのできるいい機会だ。フェスティバルのトップを飾るのがジャズバンド。開演時間となり、ステージ上に整列したメンバーの前に指揮者の上野先生がゆっくりと歩み出ると、会場がふっと静まり返る。一瞬の緊張だ。次の瞬間、あの耳慣れた小気味よいメロディーが体育館を包みこんだ。練習の時よりやや遅めのテンポで奏でられる音色を耳でとらえながら、僕は会場後部に座っている家族の人達の様子をうかがっていた。多くの親達が、子供達の晴れ姿を撮り逃すまいと熱心にビデオカメラをまわしている。最前列に陣取っていたそんな親達の間に一人、初老の女性の姿が僕の眼にとまった。この女性はジャズバンドの演奏がすすむにつれて、溢れだしてくる涙をおさえきれないという様子で、演奏中何度も何度も、真っ白なハンカチを瞼に押し付けていた。彼女は、ジャズバンドで演奏している子供の一人のおばあちゃんにあたる人であった。異国に住むこの女性は、年末のホリデーに娘夫婦のいるアメリカを訪れ、久しぶりに元気な孫の顔をみることが出来た。そのうえ、自閉症と診断された孫が立派に成長し、大勢の人の眼の前で堂々とサクソフォンまで演奏している。。。そんなことがどうしようもなく嬉しかったのだろう。 自閉症という一生完治することはない病(”病”という言い方は適切であるかどうかわからないが。。。)に冒された子供達。しかし彼等自閉症児達にとっては、自身のなかに潜む異常性は本人達の全く意識するところではない。彼等には、自分達が普通の人達と違っているとか、どこか異常であるとか、そんな感覚はまるっきりないわけだ。(断っておくが、ここで彼等を「異常」といっているのは、その真偽は別として、あくまでも僕ら一般の人間が「正常」である、と仮定してのものだ)他人と自分との関係を解せず、自分の本能のままに行動しがちな自閉症児達にとって、音楽をとおして学ぶものは大きい。バンドのなかで演奏するためには、他人の音を聴き、タイミングを合わせなければならない。自分勝手に好きな時に音をだしていては曲は成り立たないのだ。演奏をとおして、子供達は他人と協調するということを感覚的につかんでいく。 放っておけば、発作的に沸き上がる衝動行為から自らを死に至らしめる恐れもある自閉症児。彼等を教育するということは、実に多くの忍耐を必要とする作業である。そのうえ、この子供達が大人になったとき、彼等が社会の中で一人前にやっていけるという保証などどこにもない。それでも子供達の家族は勿論のこと、東スクールに携わる人々はみな、自閉症児達のなかに宿る可能性を信じ、それに賭けているのだ。根気強く、繰り返し繰り返し、この社会において生き延びていく術をたたきこんでいく。 ミュージック・フェスティバルの時にあの初老の女性のみせた涙の一粒一粒には、スクール・スタッフ達の努力と忍耐、そして彼等の子供達への愛情に対する感謝の気持ちがめいっぱいに凝縮されていたはずである。 |
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