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『悪意の扇動』?
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1998年12月7日
「人種差別記事をゆるすな!」、「ボイコット!ボストン・ヘラルド!」、新聞社ボストン・ヘラルドの表玄関前はプラカードを手に集まった人々で埋め尽くされていた。抗議の声を高らかにあげながら行進をおこなう彼等の大部分はマサチューセッツ州にすむプエルトリコ人達である。ばたばたと風になびくプエルトルコ旗のもと、音頭をとる女性が右へ左へと踊りながら駆け巡り、路上は一種お祭り的ムードを醸し出している。この抗議デモは、先日同新聞のコラムニスト、ドン・フェダーにより執筆・掲載された記事に対しておこなわれたもので、記事内容がプエルトリコ人を著しく差別、冒とくしているとして、新聞社側からの謝罪を求めピケットがはられたのであった。ボストン近郊のみにとどまらず、遠くはマサチューセッツ西部スプリングフィールドのプエルトリカン・コミュニティーからも多数がバスで乗り付け、朝10時に集まり始めた抗議参加者は午後1時過ぎには300人程に膨れ上がっていた。 問題となったフェダーの記事であるが、これは、"No Statehood for Caribbean Dogpatch" (カリブ海の貧民島を州にするな)というタイトルで11月30日ヘラルドに掲載されたもので、その内容は要するに、”プエルトリコの連中は利己的なことばかりを主張する”、”この自治領がアメリカの正式な州になると沢山の弊害が起こる”、といったもので、記事の中にはこりゃ僕がプエルトリカンだったら怒るわな、というような記述がいくつかあるのだが、この詳細に入る前にプエルトリコの簡単な歴史と現在の状況を述べておこう。 クリストファー・コロンプス2度目の航海によってこのカリブ海の一島が発見されたのが1493年。当時6万人ほどのタイノスという原住民がこの島で生活していたが、インドに上陸したと勘違いしたコロンブスは彼等をインディアンとよんでいたようだ。タイノスに歓迎され友好的なもてなしを受けたコロンブスであったが、その恩恵をあだで返すがごとく彼はこの島をスペイン領とすることを宣言、植民地化の第一歩を踏み出した。スペインからの植民は次々と進み、発見から10年の間にこの島は、カリブ海近郊におけるスペインの軍事戦略上最も重要な地点となった。原住民のタイノスも、16世紀の半ばまでには反乱を起こして殺されたか、島内で主にサトウキビ栽培の奴隷として生き残るのみとなってしまった。時が進み17世紀に入るとプエルトリコに入植した人々がスペイン本土からの独立を望むようになり、1868年の一大隆起の結果、彼等は制限付きの自治権を獲得。1898年にはアメリカとの戦争でスペインが敗れた結果、プエルトリコはグアム、フィリピンとともにアメリカの権力下にはいることとなる。1917年にはアメリカの市民権がプエルトリコ人にも適用されるようにり、その後この島は少しずつ自治権を獲得しながら、1952年にプエルトリコは正式にアメリカの自治領となり現在に至っている。 「自治領」といってもなかなかピンとこないのだが、すでにアメリカのひとつの「州」となっているハワイなどと比べて、そこに生活する人々の権利・義務などにおいて少なからぬ違いがある。まずプエルトリコ人のステータスについては、前述したとおり出生時からアメリカ市民として扱いを受ける。これは他の州と同じだ。しかし投票権については大統領の予備選挙には投票できるが本選挙における投票権はない。また島の人々は制限付きの福祉を受けることができ、それでも国税を払う義務はない、という具合になっている。しかしこの島の「自治領」という地位をめぐって、1998年12月13日重要な投票がおこなわれることになった。(この原稿が印刷される頃には投票結果がすでにでていることであろうが)今回のフェダーのコラムもこの投票に関連したものなのである。この投票において島民達は、アメリカの51番目の”州”となるか、自治領として現状維持をするか、はたまた独立国となるか、それともフリー・アソシエーション(アメリカとの関係はこのままに、自治権をさらに拡大)となるか、という4つの選択肢のなかからプエルトリコの将来を決定することになったのだ。将来の生活に大きな影響を及ぼすものであるだけに、島民達にとってこの選択は重要である。 フェダーはコラムのなかで、プエルトリコをアメリカの州にすることに反対の意見を述べているのだが、記事全体をとおして過激な、”反プエルトリコ”ともいえる言い回しがやたら眼につくのだ。例えば、「英語を喋らない人の増加に加えて、生活保護を受けなくてはならない多くの貧乏人、高い犯罪率、外国の生活習慣。。。これらのことがみんなプエルトリコが州になると同時にわが国(アメリカ)の問題になる」、また、プエルトリコ側が、州になっても自分たちの言語(スペイン語)、文化や生活習慣を変えるつもりはない、と宣言したことに対し、「この他者との融合を拒む移民達のおかげで、わがアメリカの言語(英語)や文化が変わってしまうということか。。」、さらに、「このカリブ海の貧民島ほど、アメリカの”州”候補としてふさわしくない土地はない」としてコラムを締めくくっている。アメリカとプエルトリコの関係を冷静に分析することなしに書かれたこの文章は、プエルトリカンに対する嫌悪感に満ちているといってもいいくらいだ。だいたいプエルトリコ人は正式にアメリカ市民と認められているのに、それを「移民」と書くこと自体事実に反している。フェダーはプエルトリコの歴史的背景を全く無視して現在の貧困や犯罪率のみをとりあげ、ネガティブな見解を述べているが、前述したとおり、プエルトリコはスペイン、そしてアメリカと、他国に侵略され続けてきた歴史をもつ島なのである。この貧困にしても、長年被侵略地として搾取され続けてきた結果の産物であり、決してこのプエルトリコが勝手に貧乏になっていったわけではないのだ。征服者としてのアメリカこそが現在の貧困の責任を負うべきなのである。それだけではない。アメリカの軍隊におけるプエルトリコ人兵隊の貢献度や、アメリカの企業が、税金や人件費の安いプエルトリコにおいていかに効率良く利潤をあげているか、などにはフェダーは全く触れていない。こんなこともわからずに、(いや、彼はわざとこういうことには触れなかったのかも知れないが)彼は感情的に人種差別的な記事を書き、ヘラルドはそれを掲載したわけだ。 プエルトリカン・コミュニティーの抗議デモの結果、ヘラルドの発行者であるパット・パーセルは文章での謝罪をおこない、それは翌日の新聞に掲載された。(フェダー本人はイスラエルに出かけておりコンタクトがとれないということであった) 勿論、少なくともここ米国においては、コラムニスト、記者に限らず、すべての人間にはその意見を自由に発表する権利が与えられている。しかし、一方的で悪意に満ちた記事などの場合、記者の報道の自由うんぬんよりも、社会に与える影響を考えればその毒害のほうがはるかに問題なのだ。今回のコラムにしても、プエルトリコのことを良く知らない人々がこれを鵜呑みにすれば、この島に対して非常に悪い印象が先行するだろう。当然の結果として、こんな島がアメリカの51番目の州になるなんて大反対!ということになる。そして揚げ句にはプエルトリカンに対する人種差別、というところまで発展することもおおいに考えられるのだ。新聞に書いてあることを100%信じて短絡的に考えてしまう人々は世の中に山ほどいるのだから。。。メディアというものは良くも悪くも世論を操作する力を十分にもっているのである。仮にも発行部数の大きな新聞社で物を書く身であれば、利己的な好き嫌いを書くのは自分の日記のなかだけにしてもらいたいものだ。 て選ばれたわけではないのだ」。 |
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