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イラク侵攻米軍同行レポート
その1 僕の滞在していたクウェート北部の砂漠に作られた海兵隊のキャンプ・コヨーテでも、この日は早朝から兵士達が慌ただしく動き回っていた。荷造りを終えた兵士達は移動に使う装甲車両AAV(アメリカの列車“アムトラック”と形が似ているため、兵士達の間ではそう呼ばれる)の外側に各自のバックパックを括りつけ出発の時を待つ。車内には十分なスペースがなく、個人の備品を詰めたバッグは洗濯物のように車の外側にロープで吊さなくてはならないために、僕もカメラとコンピュータだけを車内に持ち込み、あとの荷物は全て車外に残す。これから戦争に出かけるというのに、兵士達の間にはそれほどの緊張感は感じられない。むしろ延々と続くかのように思われたここでのキャンプ生活を終えられることによる開放感と、戦争が終われば家に帰れるという期待感から彼等の表情は明るかった。 無理もないだろう、彼等のほとんどは18から22、23歳の若者達で、みな既に2ヶ月近くもこの何もない砂の海原で生活を続けているのだ。この人口6千人のキャンプには絶望的につながりの悪い兵士用の電話回線が数本あるだけなので、彼等の大部分はここ数カ月間、家族や恋人の声すら聞くことができないでいた。「僕らは上からの命令でここに来ているだけ。とっとと戦争を終わらせて早くアメリカに戻りたい・・・」話した兵士の多くは、この戦争の是非についてどうこう言うよりも、ただ仕事を終わらせて家に帰ることを待ち望んでいた。単なるチェスの駒である兵士達にとって、指令通
りに動き、任務を遂行する以外、この戦争の意義を深く考えることなどやはり彼等の仕事ではないのだろう。 キャンプ出発後の道中は厳しかった。科学兵器用のスーツ、鉄のプレートの入った防弾ベストにヘルメット、これだけでも10キロほどの重さを身につけることになるうえ、防弾ベストには通
気性が全くない。まだ夏には早いとはいえ、日中は25度から30度になるので、この格好で30分もいると汗でぐっしょりになる。しかし何といってもアムトラックでの長時間の移動は苦痛を極めた。乗員席に乗り込んだのは歩兵の11人に兵器隊からの2人を加えた13人。窓もない狭い車内に備え付けられた固いベンチに隣の兵士と肩を重ねるように腰を下ろすが、床には食料や水、それに弾薬が積み上げられているので余分な空間は全くない。兵士の話では車両によっては20人が乗り込むものもあるというが、この状況にどうしたら更に7人も押し込むことができるのか、もう想像の域を超えている。戦闘の際に一番最後に出ていくことになる僕は必然的に車両の一番奥にあるエンジンの隣に座ることになるが、その騒音はまるで工事現場の真っただ中にいるのようなものだったし、更にそこから発散される熱が尋常ではなかった。外の空気を吸うこともなく10時間ぶっ通
しでの行軍となった時など、あまりの暑さに耐えきれずに防弾ベストとシャツの首元を緩めたことがあったのだが、そのとき胸元から顔に立ち昇ってきた、まるで湯気のごとく凝縮されたかのような熱気は今でも忘れることができないほどだ。僕は思わず水筒の水を胸元から自分の体に注ぎ込んだのだった。 こんなこと以外にも、砂漠で身を隠すための穴堀り、防弾ベストやヘルメットをつけたままでの睡眠など、軍隊経験のない僕にとってこの行軍は肉体的チャレンジの連続だった。
キャンプを出発してから2日目、イラクとの国境沿い。夜になって長い行軍からようやく解放され、掘った穴の中に身体を横たえた。日中の暑さからは想像できないほど空気は冷え込んでいるので、風を凌ぐためにポンチョを体に巻き付ける。まるでプラネタリウムのショーを見ているかのように夜空は星で満たされおり、何かロマンチックな感じさえ受けてしまうほどだ。しかし体を起こし地平線に目を向けると、時折他の部隊が発射する砲弾が、短い光の糸を引きながら花火のようにイラク側に向かって打ち上げられていくのが見える。そう、ここは確実に戦場なのだ。果 たしてその砲火の下では何人の人間が殺されているのだろうか・・・それでも満天の星空と砲弾の花火という、非現実的ながらあまりに美しいこの光景を眼の前に、戦争という実感が全く湧いてこなかった。(次号に続く) |
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